一般理系大学生が院に落ちて精神を病むまでの時系列
小論文が書けない…こんな時は!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
やっぱり!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
パッション!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
って出来たら良いんですがねぇ…
只今小論文が書けません。ぜうぇです。
小論文書きたくないので、自分がガチ病みするまでの軌跡を振り返ってみましょう。
振り返りが最悪だな?
自己紹介
どうも~~~!!!!!!!!!!!!!(クソデカ大声)
院試に落ちて、院試に落ちて(二回目)、卒業研究が上手くいかずに他人の資料焼き潰し、色々あってメンタルがすんごい事になって適応障害になった人です。
現在はニートとして、本来使うはずであった入学金を使い潰しながら、来年度入学に向け試験勉強(小論文)中です。
どうみても社会不適合者ですね。金を使うあたりニートより害悪です。
小論文をマジで書きたくないので(最重要項目)手の運動だとか言ってブログを書いています。
「人間って簡単に病むぜ!!!!!!!!!!!!!!!!!」って知ってもらえれば幸いですね。
病みを振り返るぜ!
そもそも何故こんな状況に陥ったのか?時系列で追ってみましょう。
4~8月
大学四年生として、卒業研究を開始した時期です。
無事第一志望の研究室へ配属され、テーマも面白そうなものを貰えました。
これからの胸躍る花咲く将来へ希望を膨らませていた時期です。
中間発表を終えた7~8月は院試の為の勉強期間として設定されています。
そして8月終盤、院試を迎えました。まぁ余裕やろwww
8月院試後
院試に落ちました。
初手からダメですね。「あれ落ちる人なかなかいないでしょ…」と称される内部進学ラクラク院試に落ちました。今年はコロナで志望者が20名ほど増えていたそうです。
(弊学部のローカルルールとして、院試後即座に合否がでます。あくまで内部的に。)
ちなみに落ちた人の中で、上から二番目だったそうです。教授の「例年通りの志望者数だったら受かってたのにね~」を覚えています。
落ちるとはほぼほぼ考えてなかったので
「これからどうすんねん…」と速攻で路頭に迷います。
でも安心、うちの大学は研究だけできる大学院学部があるのです。システムが面倒ですが、要約すると「所属はちょっと違うけど、院生として同じ研究室と先生で研究続行できるよ」的な学部です。実質二回目の試験です。
休みを貰い勉強を開始します。教科は小論文と英文読解。どれも一回目の院試で出ない項目なので急遽勉強を開始します。
9月二回目院試後
また院試に落ちました。
「名前書けば受かる」と称されるほど定員割れを毎回起こしていた例の学部、今年はコロナの影響で受験者数が今日の28人アップ。倍率が十倍近く跳ね上がっています。
当然落ちます。それもそのはず、面接がボロクソだったせいですね。
さてまた路頭に迷いました。
この段階で残された選択肢は3つあります。
①別大学院を受験する
②就活する
③研究生になる
※研究生…研究室所属扱いで研究を行う身分を持つ生徒。外部生的な扱いであり、授業も特にない。要は院試落ち救済制度みたいなモンである。
よくあるルートとしては①の別大学院受験があります。
とはいえ、他大学の試験はこの段階でほぼほぼ終わっている為、後期に試験がある大学院を受験することになります。
この場合大抵受験されるのが「大学院大学」と呼ばれる、大学院だけを持つ大学です。
NAISTとかJAISTとかですね。今ここの小論文が書けなくて困ってるやつです。
一応普通の学部を持つ大学の院も受験できます。
元より院進希望であったので、①のルートへ進むことにしました。
9月後半
9月後半時期には大学院大学の願書締め切りです。志望大学はNAISTとJAIST。
JAISTくんは9月前半に願書締め切りがあるので、JAISTに願書を送る場合は第一回目の試験終了時に送る必要があります。まぁ「二回目の受験に集中できん…」という理由でパスしましたが。(小論書いたり研究室訪問したりで負担が重い)
となると9月後半にあるNAISTの願書を提出するのですが、しませんでした。
二回に渡る院試と院試落ち、そして研究の本格化も伴い願書を出す気力がありませんでした。というのも、二回目院試での面接での出来事が大ダメージであり、精神をゴッソリ持っていかれたのが原因です。
コラム【何が起きたの?】
「志望理由ややりたい事を5分で言えるように纏めておいてね!面接で聞きます!」と要綱に書いてあったので、対策して行ったら
「じゃあ志望理由を一分で」と言われて「???????????????」になりパニックに陥ったよ!クソだね!!!!!!!!!
でも大丈夫。JAISTもNAISTも三回目の試験があります。これに賭けましょう。
試験日は来年の2月と3月ですので、卒業研究に集中する事とします。
それにしても疲れたゾ…がこの時の気持ちです。
10月
雑誌会(英語の論文を翻訳し発表する)を頑張りました。結構いい出来じゃないでしょうか。一方で集中しすぎて自分の研究が疎かになっていたり。
雑誌会の出来は良かったけど、疲れたゾ…がこの時の気持ちです。
11月
卒業研究もそろそろ本格化し出します。自分と言えば、二回の院試&雑誌会で進捗が遅れていたので、焦りだした時期です。
更にコミケに向け、初めての同人誌を執筆し出します。
今から思うと単なるアホですが、この時の気持ちとして「院試に落ちた分他でリカバリーせねば…」という半ば脅迫概念じみたものが支配していた状態です。
当然疲労は溜まりまくっていますが、「まぁなんとかなるやろ…」の精神で日々を過ごしていた時期です。
中間発表があったものの、当然発表内容がスカスカ。「12月でハッパかけんとな…」が11月末の感想です。
12月中旬
進まない内容がスカスカの研究と焦り、そして院試への不安に襲われる時期です。
この段階で疲れが限界化し出します。家に帰っても疲れが取れなくなりました。
この時期は肉体的な疲労というより、精神的な疲労がメインになってきます。いつもなら家に帰れば晴れる気持ちが晴れないのです。
何をしても「明日もまた研究室…院試どうしよう…ヤバイ…」が頭でずっとグルグルしている状態です。
この状態ですから、現実逃避の為にやる事をせずにゲームばかりしだします。どれだけやっても心は癒されず、それでも現実を見たくないからゲームに向かう…徐々にライフスタイルが深夜にズレ、「深夜3時に寝る→朝ギリギリに登校」を繰り返します。
終わりが見えてきましたね!!!!!
肝心の課題は当日の深夜にぶっつけで解決する、これを繰り返していた時期です。
もっと厄介なのが、進捗の生まれない研究の代替手段として創作に走りだした点です。
創作は研究と違って、進捗がすぐに出ますからね。日々全く使われなかった脳の報酬系を適度に刺激してくれます。当然超楽しいです。
……ですがかなーーーり疲れます。凄い頭を酷使します。でも自覚無いんですよね。
こうして自覚あり&なしのダブルパンチで疲労が叩き込んでいたのが12月中旬です。
当然研究の進捗は皆無です。12月末の進捗発表はどうなっちゃうの~~~!?!?!?!?
この時の疲労具合を示す事件として、「TOEICの会場間違え事件」があります。
院試にはTOEICが必要です。スコアの開示タイミングから考えると、この12月の試験が最後のTOEIC試験でした。そんな大事なTOEIC試験、発表資料作成と同時並行で勉強し、とりあえずなんとか形になりました。あとは試験次第……!
会場を間違えました。
自分の大学が会場だと思っていたのです。
そう、「会場を確認する」事まで頭が回っていなかったのです。ヤバいですね☆
結果、院試はその前に受けていたクソみたいな点数で勝負する事になりました。
今思えば、これが危険信号だった説あります。
12月終盤
「これが終われば冬休み…この時期さえ乗り越えればなんとかなる…」
ーーーーーー一般大学生
結構ヤバい状態です。誰も居ない廊下で走り出してストレス解消し出す時期です。
「早く進捗を出さないと…院試落ちで進捗も無いってそんな僕に存在価値は無い…」
「こんな程度の進捗じゃ教授に怒られる…」
と、妄想じみた脅迫概念が脳内を支配し出します。実際そんな事ないのに。
「進捗の無い自分に存在価値は無い、だけど今日は疲れた、何もやる気が起きない…」
と、どうしようもない気持ちを抱えたまま進捗の無い日々を過ごします。研究テーマ的にも、測定に一日を要する為、データはなかなか集まりません。
こんな状態なので、当然焦りは増すばかり。目前に控えた院試試験への不安も脳内をグルグルしています。
更に実験失敗が重なります。2,3週間分の実験データがゴミと化しました。
ここが全ての分岐点です。
時期は進捗発表まで残り一週間を切った状態です。発表データを確保するためには多少荒い手段を用いねばならなくなりました。
そもそも自分の状況をちゃんと教授に説明すれば良いものを、当時の僕は
「進捗が無い!これじゃダメだ!なんでもいいから進捗を生まないといけない!!」
と完全な強迫状態に陥っており、何が何でも進捗を生もうとした訳です。完全に頭がイカれていますね。人間は疲れると正常な判断ができないと言いますが、その通りです。
そして行ったのが
「正規の手段を飛ばした不正確な実験&禁止されている深夜実験&データ改ざん」
です。絶対にやるな!を全部破っています。特にデータ改ざんはヤバイ。
実験のデータを得る為には、大学の共通設備を使う必要がありますが、当然他にも利用者が居ます。使いたいときに他の人が使っていて使えない…なんてのもあるある。
しかしそれでは「僕が」困りますので、他人が予約するだけして使っていない時を見計らって実験を行いだしました。深夜は大抵装置が使われていないので、不足データを補うべく深夜実験も行いました。当然禁止行為です。危ないですからね。
加えて、通常であれば何度か測定すべきデータも一度の測定のみに済ませ、データの大量生産を図ります。
そして得られた最小のデータを用いて、傾向に合う存在しないデータを作成しました。
典型的な不正です。もう終わりや…
深夜に実験を行う関係上、深夜まで起きている必要があります。その後は証拠を抹消する為早朝の学校へ赴き、履歴の抹消や清掃等も行わねばなりません。
当然ライフスタイルはぐっちゃぐちゃになりました。
そして得られたデータをバレないように改ざん、新規に作成…当然学校では行えませんので、バレないように家に帰って作業を行います。(結果バレてましたが)
こうしてできた虚偽のデータですので、当然教授に報告できません。
「ここのデータどうやって出した?」と言われても何も答えられません。という事で実験データに関するまとめや考察は自分一人で行わねばなりません。
結果、肉体と精神の疲労が限界に達しました。
寝れねえし、将来への不安でいっぱいだし、心は疲れているけど、今が踏ん張りどころやから頑張らないとな…っていう。
不正行為を行う以上、バレないように細心の注意を払う必要があります。これが本当に精神にキます。研究室にいるときはずっと「バレないよな…?」と緊張の糸が張り詰めた状態です。まぁ当の本人が全部悪いんですが…
そんな状態で迎えた進捗発表前日、なんとか必要最低限のデータを(不正に)取り終えました。確かその時は雪が降っていて、街灯に照らされた雪が綺麗だなぁ…とか能天気に考えていたのを覚えています。
そこから朝まで発表資料作成です。なんとか自分の発表前までに作り終え、とりあえずある程度のラインの発表を完遂できました。
これでやっと休めます。二週間の休暇です。疲れた…
これで終われると思うなよ
不正な手段をガンガン使ってなんとか乗り越えた発表終了後、突然教授からの鬼電。教授から電話が掛かってきたのはこれが初めてです。
「なんでもいいからとりあえず研究室に来てくれ」との事でした。
疲れは集中力不足を招きます。そう、深夜に実験していたことがバレました。
原因は、ちょうど発表前日の深夜実験。そう、あの雪が降る夜です。
実験装置内に他人の試料が入っていた事に気づかず、自分の実験を強行。他人の試料を焼き潰し、見事に相手の実験を妨害した訳です。
※この時間中は予約が入っているにも関わらず、自分の実験を強行したワケです。クズですね。
装置の内部データから、焼き潰した犯人が自分だと判明。教授へと連絡が回ってきたのです。
当然死ぬ程怒られ、相手方にも迷惑をかけたので謝りに行こうにも、相手は既に帰宅。仕方ないので明日向かう事とします。
帰り際、教授に「お前、絶対逃げるなよ」(※原文ママ)と言われたのを覚えています。
家に帰りました。全てどうでも良くなりました。
もう全てが嫌です。何でこんな事になるんだ。本当にツイてない。踏んだり蹴ったりだ…いや、そもそも全部自分が悪いんじゃないか。何故自分はあんな行動を取ったのか。別の方法だってあったはずだ…、そもそも深夜に実験しなければ良かったのだ。
事件当日が金曜日、土日を挟んで月曜日に謝りに行くまで、三日間の間、ずっと自己嫌悪自己嫌悪自己嫌悪。ベッドの上で「自分は悪くない…自分は悪くない…」と呟いていたのは人生で初めてだと思います。てか100%僕が悪いです。
今思うと相当に判断力低下してんな~~と思えますが、当時の自分はこの程度の判断力しか持っていなかったのです。
「もう何も考えたくない、とにかく早くこの世界から逃げ出したい…」
この事しか考えられませんでした。まぁ月曜には学校行かなきゃいけないけどな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
終わりのはじまり
さて、暗黒の如き土日を終え、月曜に謝りに行きました。
とはいえ、相手方は「顔も見たくねえから、来なくていいです。今回限りの事にしといてください」と温情マシマシのご回答を頂きましたので、施設管理者に謝りに行きます。with教授です。
施設の人はマジ優しい人で、「よくある事なんでそんな気にしなくても…」なんて言ってくれました。神ですね。とはいえ、悪い事をしたから謝れねばなりません。
自分が情けなくなってきました。
どうしてこんなクズ人間が生きてるんですか?
全てが決壊しました。泣きました。
自分が本当に情けなくなって泣き出したのです。
泣き出したいのは教授の方だってのに、自分が泣き出したのです。マジ迷惑。いやほんとなんで生きてんの?世界の為に君は消されて然るべき存在じゃないのか?何のために生きてんのお前?
なんか小中と虐められてきた記憶もフラッシュバックしてきて、もうダメです。早く消えて無くなりたい。
こんな調子で謝りも中途半端に切り上げて、研究室へ帰宅。
(施設の人にはマジ申し訳ないので後日謝りに行きました)
教授からは当然また怒られます。「お前あれはないだろ…」と。
その後は、やれ「君の家族は裕福なんか?ストレス耐性無いっぽいし…」だとか「そんなんじゃこれからやってけないよ」、「辛いのは分かるけどさぁ、なんとかしようよ」、「男は泣くなよ…」
などなど大変ありがたいクソみたいに中身の無え助言を承り、最後はなんか良い感じに「今後はこんな事ないようにな!」みたいなクソみてえな締めで終わりました。
自分じゃない、家庭環境に話を持っていくこの教授、ほんとさぁ…
この時から担当教授への不信感が増していきます。
ちなみにこの説教を終わらせたのは、研究室のもう片方の教授です。
先輩が気を利かせて、もう片方の教授を止めに行かせてくれたのです。先輩マジ神…
時間は既に夜の9時でした。バイトに無断欠席してしまった謝りを入れねばなりません。でも、明日から休みです。コミケへサークル側初参加です。楽しみだな。
でも教授と顔合わせるの気まずいなぁ…院試もあるし、より一層頑張らないと…
1月:終わりの始まり
二週間程度で疲れが癒される訳ねえだろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
休み期間中頭に浮かぶのは、院試どうしよう、研究どうしよう、教授と会いたくない、学校行きたくない、疲れた、将来どうなるんだ、大丈夫かな俺……
当然休まる訳がありません。何か楽しい事をしても、終われば嫌な現実が脳内を支配します。結局、現実からは逃れられないのです。
更に追い打ちをかけるように、院試はもう目と鼻の先。進捗の無い研究と院試の勉強。
この二大巨頭を処理しなければいけないのです。
こんな状態で始まった一月、取った選択肢は「院試の事を考えない」でした。
とりあえず、このボロボロ状態の卒業研究をなんとかしなければ、そもそも院試の事に集中できません。
また、院試に必要な小論文に「現在行っている研究」を書く必要がありますから、まずは卒研にある程度の進捗を生まねば何も書けません。という事でこの月は卒業研究に集中する事にしました。
ちょうど自由に使える実験装置も到着し、しかも使用者が自分だけであったので使い放題です。時間の許す限り進捗を生み出せます。
本来予定していた実験の代替案としての実験ではありましたが、データが取れて傾向が見られるならなんでも良いのです。
そして日々実験と疲労を貯めながらも、ある程度の進捗を生み出せました。
12月の疲労困憊時のメンタルと比べたら幾ばくかマシな精神状態です。とはいえ日々の体のダルさは変わらず、依然として不安が頭で渦巻いていますが。
「今月はまだ平和だな…」とは月末の僕の談。でもなんか忘れてるような…
院試に申し込み忘れました。
平和だと思っていたのは、単に院試の事を忘れていたからです。
「いや絶対忘れんやろ…」って思うじゃん?忘れるんだよ。本当に意識がそこまで伸びないんよ。
そんな、やらかした…という気持ちのまま一月を越します。でもここでダメージを受けている場合ではありません。まだ締め切りが間に合う大学院がありますから、そこに賭ければ良いだけの事です。まぁ必要なTOEICはクソみてえな点数だけど…
2月中旬:精神すり減らし総決算セール!!!!!
怒涛の2月です。ほぼ記憶がありません。記憶を辿れるのは写真フォルダが頼りです。
2月に控える大型イベントは「卒論発表練習」。
3月初頭に控える卒論発表に向けて、発表スライドの作成および発表練習会を行います。なお発表練習会は二度行われ、発表前には教授にスライドを提出、チェックを受けるのがしきたりです。
さて、この月になると注意欠陥が目立ちだします。
忘れっぽくなり、判断力が低下し、集中力が低下します。寝ても疲れが本格的に取れなくなり、日中もフラフラします。ていうか寝れません。
そう、本当に疲労がヤバイ合図ですね。
実験におけるミスは多発、測定ミスで数日分の実験データが飛ぶのはザラです。提出物忘れも酷くなり、実験に必要な部品の設計データの提出は遅れに遅れました。朝も起きれなくなり遅刻が悪化しました。教授に怒られた♡クソがよ…
さて、忘れっぽくなったと言いましたね
また院試申し込み忘れました。
もうこの段階まで来ると、現実感がありません。「なんかやべえな…」という漠然とした感想しか出てこなくなります。大丈夫か?いや大丈夫じゃないが…
冒頭で紹介した通り、2月は卒論に向けて情報を纏める段階です。
足らないデータがあれば急ピッチで実験を行い、データをまとめ、発表に控える必要があります。当然僕も足りないデータの収集に掛かります。
しかしここで実験が滞ります。
注意欠陥に伴う実験失敗が続いたのもありますが、それ以上に、現在の実験では欲しいデータを所得できないと分かったのです。
形状を変更しても、綺麗なサンプルを用意しても、出てくるデータは誤差ばかり。相関関係もクソもありません。1月中に出ていた進捗は勘違い、考察も間違いだったのです。当初、形状の微細な変化が原因だと考えていたエラーは、実は実験サンプルそのものの形状が問題であると判明。もうどうしようもありません。
でもなんとかデータを間に合わせなければなりません。でもサンプル作製の時間を考えるとそれは非現実的。となれば最終手段しかありません。
そう、データ改ざんですね。
前回怒られた(バレた)のは「深夜に実験した事」です。実験データの改ざんはバレていません。なのでまだこの手が使えます。
様々に調整した、結果が明らかに分かっている相関もクソもないサンプルを実験、そして得られたデータのラベルを書き換えて、さもデータに相関があるように見せます。
このほか、余計な誤差が含まれた部分は、スムージングによって修正。フォトショップもびっくりの修正作業により得られたデータは見事に相関を示していました。
とりあえず使える手段は全部試しました。データを手打ちしたり、謎の係数を掛けて数値を調整したり。もう自分でもどれが正しいデータでどれが改ざん済みか分かりません。もしもデータを見られた時の為に、フォルダ名もそれっぽくしてあるので当然です。
こうして、妙に綺麗な、考察通りの相関が出るデータ群が出来上がりました。
それもそのはずです。僕がそう作ったんだもん。
もう倫理とかどうでも良いです。こちとらもう限界です。早く全部終わらせて休みたいのです。
この際バラしておきますが、卒論発表で使ったデータは全て編集済みです。
ちなみに慣れてくると「この数値気に食わんな~書き換えたろw」感覚で書き換えだすのでデータ改ざんは本当にやめた方が良いです。
研究不正の心理を理解した気がしました。
まだまだ最悪は続きます。当初の研究テーマが変更になりました。
当初の研究テーマは「エポキシ接着剤に添加物を混ぜたら、添加物はどう分布するのだろう?またそれに伴う物性の変化は?」というもの。
これまで行ってきた研究は、物性の変化に関するもの。
じゃあ添加物の分布はどうなってるの?と調べ出したのが12月頭で、2月からはより本腰を入れて調査を開始した段階です。
さてそれで何が分かったかと言うと、「添加物が少なすぎて見えない」でした。
今から添加物の割合を変えた場合、これまでの実験データは全てゴミになります。
じゃあ追跡可能なほど濃度を増やすか?これまでの実験データに目を瞑って…と考えるでしょう。でも現行より濃度を増やすと、もれなくエポキシ樹脂に異常が出るのです。
当然使えるわけがありません。てか今ですら10wt%とか入れてんだぞ…
そう、二月にして、これまでの実験全てテーマと合致しないと判明したのです。
なんなんだこれ。あれほど精神すり減らした結果がこれか。
どうしようもないので研究テーマを変更します。
「添加物の添加に伴うエポキシ接着剤の物性変化」というタイトルになりました。
新規性もクソもありません。とっくに研究しつくされた研究テーマです。
加えた添加物も、現在の接着剤に添加されているようなとてもありふれた添加剤です。マジで新規性がありません。今から、これを、「誰もやらなかった研究」として発表する必要があります。なんの拷問なんだこれ。
ただでさえ疲労がピークの中これです。何か自分の中で壊れた気がしました。
もうよくわからなくないです。
そんな中、担当でない方の教授が「図書館の本が返されてないみたいだから返して~」という連絡をしにやってきました。
そうでした、図書館の本を返し忘れてしました。ついうっかりしていました。
泣きました。
周りに研究室メンバーが居ましたが、そんな事関係無しになぜか泣けてきたのです。
自分でも情緒がどうかしていると思います。
「何故自分はこんなにも忘れているんだ…?」と考えたら泣けてきたのです。もう限界どころかちょこちょこ亀裂が出来ています。
まだまだイベントは続きます。
「発表練習前には教授にスライドを提出、チェックを受ける」とあります。
これが自分の担当教授の方針です。もう片方は違ったりします。
これには、更に追加ルールがあって、教授にスライドを提出(というか見せに行く)前に、先輩方に見て貰う必要があります。
些細な間違いは先輩たちでチェックし、大筋やストーリーのズレは教授が行う事で、教授へかかる負担をなるべ減らしているという訳です。このチェックは、二回ある発表練習の前にそれぞれ行われ、全体でみると
一回目発表練習前チェック→一回目発表練習後チェック→二回目発表練習前チェック→卒論発表
という流れになっており、実に3回のチェックを経由する訳です。なお二回目の発表練習後、翌日には卒業発表の日です。
さて、一回目の発表練習は2月の第三週にあります。なので当然、この第三週までには教授にスライドを見せに行く…少なくとも先輩たちには見せる必要があります。
直前は忙しいからね。なるべく余裕をもって行動すべきです。
ここで一大インシデント発生です。
僕は「教授に見せるのは練習二回目の時」だと思ってたんですね。
そもそも教授に見せにいくルールを知ったのが2月初頭。先輩から「そろそろ資料できた?」と言われたのがキッカケです。
一回目の前も見せに行ねばならないと知ったのは、教授の「〇〇くん(ぼく)~そろそろスライド見せに来てよ~ルールでしょ」との発言によるもの。道理で皆スライドを急いで作ってるわけです。
確かに妙だと思ったのです。先輩たちは妙に「スライドできた?チェックしたいから早めに仕上げてくれるとありがたいな」と言ってくるのです。
てっきり、早め早めの行動を推奨しているのかと思っていたらそうでなかったのです。僕はもうとっくに取り残されていたのです。
これを教授に言われたのが第一回目発表練習3日前です。
発表練習は来週の月曜にありますから、教授および先輩に見せに行けるのはこの日が最後です。つまり実質練習1日前です。
当初はこの土日を使ってスライドを仕上げ、来週先輩方に見せに行くつもりでした。
自分が見せに行くと思っていた、二回目の練習は二週間後です。これを元に予定を立てていたのです。ですが、急遽この一日で
「スライドを仕上げ、先輩数名にチェックしてもらい、教授に見せる」
を行わなければならなくなりました。データもまだ不備があります。ていうかそもそも実験が正しく無いと分かり途方に暮れたのが数日前です。更に先述の通り、テーマ変更を指示されたばかり(一週間前)です。
どうしようもありませんが、どうにかするしかありません。
そしておおよその型しか出来ていなかったスライドを、ある程度の型まで持っていけたのが15:00。そこからコアタイムである18:00までに先輩三名に見せ行き、指摘を貰い修正が完了したのが19:00。ちょうど教授も他生徒との相談を終えたタイミングです。早速見せに行きます。粗削りではありますが、背に腹は代えられません。
教授「君、この一週間何してたの?」
元はと言えばお前がちゃんと伝達しなかったからじゃねえのか…???????と思いながら、でも、そもそも早くスライド作らなかった自分が悪いのでしょう。あぁもうどうだって良いですよ、直します直します。
ていうか研究室入学時の資料見返したけど、やっぱりそんな記載無かっただろうがよ…やっぱり口述前提じゃねえか…マジなんやねん…
教授「君これ絶対先輩に見せてないでしょ」
教授「ここはうちのルールに則ってないじゃん」
先輩から指摘項目をまとめたメモが机にありますので、取ってきましょうか?アナタが指摘したこの箇所は先輩が修正を指示した項目ですよ。
教授「まぁいいや…とりあえず月曜までには形にしておいて」
やっと解放されました。他にもなんか言われた気がしますが覚えていません。
まぁこんな低クオリティならキレるよね。仕方ない仕方ない。土日あるし指摘項目直すか~~疲れたなぁ…
紆余曲折ありましたが、とりあえずゴールが目前に見えてきました。ちょっとは精神がマシになりました。あとはスライドを直して発表すれば良いんです。
自分が心配していたデータ不足も、実験の不備もなんとかうまく誤魔化せました。これなら追加で何かやらなくても大丈夫そうです。
メンタルも疲労もボロボロですが、あと少し頑張れば休めるのです。良かった。本当に良かった。
2月末:もうダメ
土日をフルに使ってスライドはある程度形になりました。
指摘項目もちゃんと直しました。足りない情報は追加しました。
この発表練習を乗り切れば、明日には連休です。
連休明けの発表練習の次の日は卒論発表会。そこまで体が持てば僕の勝ちです。とりあえずその後一週間ぐらい休みが入ります。その後には卒論執筆が控えますが、その前に休憩できるのでなんとかなるでしょう。たぶん。
さて練習発表当日
発表スライド間違えました。
注意欠陥ここに極まれり。
改定前と改定後のスライドを間違え、改定前のスライドで発表を行ったのです。担当教授が呆れていますね。そりゃそうだろう。
まぁでもとりあえず発表は終えれたので無問題です。
もう全部どうでも良いです。嫌な事は忘れましょう。だってゴールは目前だし。あと少し耐えれば休めるのです。
今日は研究室で教授に指摘を貰って、それで帰れます。そしたら連休です。
でもなんだか、今日の教授は最高に機嫌が悪いですね。なんでも三徹明けだそうです。
教授「こんな出来じゃ、研究室の格にふさわしくないよ」
研究室の格ってなんやねん
教授様曰く、内容から形式に至るまで全部ダメダメだそうです。
何がダメだと言うのでしょう。教授様の指摘通りに直したスライドですよ。
教授「とてもこんなもの見せられないから僕が直すよ」
と言われて、教授様自ら手直ししてくださいました。なんてありがたいんでしょう。
てかお前そんなとこ前回指摘してないだろ??????
前回の指摘で緒言は「ここの表現直してくれ」程度しか言わなかったじゃないですか。今や全文書き直しですか?前回の指摘は何だったんですか?
教授「じゃあこれで発表して」
修正してくださったスライドを渡されました。
あとは追加の指摘項目を直せば良いそうです。
教授「お前月曜までに絶対直せよ」
凄いキレていらっしゃいます。うちの担当教授はキレると口調が荒くなります。
怖いですね。
そんなこんなでやっとスライド指摘が終わりました。帰りましょう。疲れた。
たぶん僕は必要ないんだろうなぁと思いました。
このスライド凄いですよ。6割ぐらい教授が作ってます。
僕の存在意義は何なんだろう?こればっかり考えていました。
運命の日
連休が明けました。発表練習前の月曜日です。
スライドも、とりあえずまとまりました。
今日を乗り越えて、後は、明日の発表練習と明後日の卒論発表を終えれば良いのです。
ていうか早く学校に行かないと教授がキレます。
ぼく「(大学、嫌だなぁ…)」
ベッドから起きれなくなりました。
なんだか分からないですが、ベッドから起きれないのです。
教授にスライド見せに行かなきゃいけないのに、ベッドから起きれないのです。
そう、とっくに精神は限界を迎えていたのです。
精神科へGo!
人間の精神が折れるキッカケは、ありとあらゆるものがトリガーになります。
僕の場合、ふと心に浮かんだ言葉が原因で心が折れました。
単に大学行くの嫌やなぁ…と思っただけです。たったこれだけのキッカケです。
でもボッキシ行ったんですよね…
心が折れると、脳内が全て虚無感で支配されます。
よく「世界に色が無い」なんて言いますよね。あれに似てます。
何かやろうとしても、その意識は瞬く間に霧散していまいます。本当に動けないのです。
なのに嫌な出来事や不安だけは延々に頭の中でぐるぐるしています。
マジやべえ状態です。
結局この日はベッドの上で過ごしました。
ツイッターぽちぽちしながら、溢れ出る虚無感で全てがどうでも良くなりました。
起きていると嫌な事ばかり考えるので寝る事に徹しました。
教授ガチギレしてんだろうなぁ…とか思ってました。
次の日は発表練習の日です。
この日も休みました。
ベッドから起きれました。ご飯も食べれました。でも大学関係の事をやろうとすると、脳内が虚無に支配されるのです。絶対正常ではありません。
という事で精神科医に行きました。
医者「抑うつです」
— ぜうぇ (@Quaest) 2022年3月1日
ぼく「草」
医者「うつに移行を見せています」
ぼく「草」
医者「適応障害もセットです」
ぼく「大草原」
(その後の診断で適応障害の診断を食らいました)
やっぱり精神を病んでました。
お医者さんのお話を聞く感じ、12月ぐらいからもう兆候が出ていたみたいです。
うーん草w
その後
適応障害の治療に一番良いのは、その環境から離れる事と言われます。
ちょうど院に落ちた僕にはちょうど良いですね!!!!
てな訳でそこから数か月ずっとお家でぐうたらしていました。
5月になると教授の夢を見なくなり、6月には教授の顔を忘れてきました。
てなわけで無事治ったのでした。めだたしめでたし。
結局何が原因だったの~~~~~???????
結局のところ、何が原因でこうも精神を病んだのでしょうか。
各月のメインイベントを振り返ってみましょう。
8月。初手院試落ちです。ここから全てが始まりました。
9月。またもや院試落ち。この時点で結構ダメージを食らっています。
10月。何でもない月に見えますが、疲れが溜まっています。
11月。疲れがとれにくくなってきた月です。更に焦りと強迫概念が出現していますね。
12月。ターニングポイントです。疲労困憊状態の中、事件が幾つも起こります。
1月。疲労が取れなくなっています。将来への不安で頭が一杯、現実逃避に走ります。
2月。極度の疲労と虚無感を味わいます。全てどうでもよくなってきます。
3月。病みました。
まず第一の原因と考えられるのが「疲労」です。
8~10月の段階では、まだ受けた疲労を回復できるだけの余裕がありましたが、月を重ねるに連れてその余裕がどんどんなくなって行きます。
1月の時点で、二週間の冬期休暇を得ても疲労が全く回復していません。
この時点で疲労を回復させるだけの余裕が消滅しています。
なぜ疲労が回復しないか?それは不安と焦り、そして強迫概念によるものでしょう。
四六時中、何をやっていても、頭の片隅にこれら迷惑三兄弟が居座るようになると、休もうにも休めません。楽しい事をしても、終わればすぐに現実に引き戻されてしまうのです。
これらを解決するには、原因となる事柄を片付ければ良いのですが…
ここへ来て「疲労」が邪魔をします。片付けに使うエネルギーが無いんですね。
結果、この三兄弟はずっと居座る訳です。
無論、長期的な休みを取れればこれら疲労は徐々に解消されていきます。
でもそんな休み無い訳で、積もり積もった疲労を土日で解消するなんて無理な話。
一月の冬期休暇でもダメでした。結果疲労は溜まる一方です。
こうして溜まりに溜まった疲労は、精神状態を悪化させます。
集中力も切れるし、忘れ物は増えるし、それでまた自己嫌悪…デフレスパイラルです。
第二の原因が「虚無感」です。「どうでもいいわ…」的な気持ちです。
この虚無感を感じたのが、12月と2月の時点。
特に2月の虚無感がデカいです。「これまでの実験なんだったん…?」という虚無感と「もう僕要らないんじゃない…?」という虚無感です。
もし「疲労」だけであれば、まだなんとか耐えたでしょう。
でもここに「虚無感」が入ると、全てがどうでも良くなります。そう、「虚無感」は背中を押してくれる役割を持っているのです。
あくまで自分の考えだけどね!
【まとめ】
人間を病ませるには、「疲労」と「虚無感」を与えると良いよ!
おわりに
なんか書いてたら気持ちが多少前向きになりました。やっぱりブログは良いですね。
文中でなんかグダグダ言うておりますが、病んだのはそもそも自分が原因です。
そもそも院試に落ちなきゃ良かったんですからね。
やれコロナさえなければ、的な事は考えますが、どうしようも無いです。まぁそういうもんだと思って受け入れましょう。人生は多少波あった方が面白いでしょうから。
それより小論文をなんとかしましょう。まずはそこからです。